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2ヵ月間マルタ共和国で生活した軌跡
経営情報学部 S.T. (2014年度春休み)

2ヵ月間マルタ共和国で生活した軌跡

2015年12月11日

今回の留学を決めたのは大学2年生の10月だ、きっかけは部活を辞めたこと、彼氏と別れてしまったこと、何かしなければという気持ちが留学という選択に繋がった。兄が以前留学していたということもあり、留学することに迷いはなく、もともと海外が好きな私は即決であった。留学あっせん会社を通して留学の申し込みから航空券手配まで初めて自分1人で行い、マルタ共和国のEFという語学学校への入学を決めた。

マルタ共和国は私の憧れの国であった。きっかけはテレビのanother sky という番組にマルタが取り上げられて感銘を受けたことだ。日本での知名度の低さにも何か特別なものを発見した気分になったし、町並みから風土まで理想の国であった。

飛行機は格安航空券サイトから予約した。格安ということもあり、乗り換えの数が多く行く前からとても緊張していた。行きは成田→仁川→フランクフルト→マルタ、帰りはマルタ→ローマ→北京→羽田だった。航空会社も様々で、飛行機に乗るというだけなのに様々な経験が出来た。乗り換えの時間が短いときは空港を走ったりもした。それぞれの空港を見ることで、その国の中に入ったわけではないのにとてもワクワクしたのを覚えている。行きはフランクフルトでガラケーについて聞かれるために個室に呼ばれたり、ローマでは保安検査を受けるのを忘れてアナウンスをされるなど、小さいながらもハプニングを経験した。マルタ航空は客室乗務員がスナックを食べながら談笑していたり、エアチャイナでは私以外皆中国人という少し怖いことも経験した。また飛行機のクオリティも実感できた。それは北京から羽田までの最終飛行機が全日空だったことであった。シートの広さや間隔、客室乗務員の質、機内食まで完璧だと感じた。このように航空会社を渡り歩くこともなかなかないことなので留学へいくということ以前に社会勉強にもなった。特に感じたことは中東系の航空会社の荷物制限だ。エミレーツなどの中東系の会社は30キロまで無料で荷物を預けられるが、他の航空会社は23キロまでだ。飛行機も旅において重要な役割を示すと改めて実感した。

マルタ共和国へは2月1日23時に着き、学校の送迎車で滞在先の寮まで向かった。寮はEFが所持しているもので、2人部屋で4つ部屋があり、リビングやバスルームを8人でシェアするというスタイルであった。値段はホームステイより多少高いが、ホームステイという環境が好きではない私は寮を選んだ、ルームメイトはイタリア人で2ヶ月間一緒に生活をした。

次の日(2月2日月曜日)朝から学校でオリエンテーションが行われた。クラス分けや学校のことについての説明があり、周辺の施設を見て回った。この学校周辺の散歩でドイツの学生と仲良くなった。このドイツ人学生は帰国した今も連絡を取るほど仲が良い。お昼はイタリア、ドイツ、トルコ、日本というメンバーでバーガーキングへ行った。オリエンテーションを経て、日本人が少ないということもあり、また順調に友達ができたことからよいスタートだと感じた。この日は午前で授業が終わり、午後はスーパーへ行き、夜はウェルカムパーティーへ行った。EFがクラブを貸切り色々な国籍の人と乾杯をしたり、話したり、踊ったりと、本当に楽しいひと時だった。
授業は1クラス約12人くらいで、日本人の割合は多くて3人。ペアを組むときはなるべく日本人と組まないように自分で工夫した。他に、フランス、イタリア、ベルギー、トルコ、ドイツ、ラテンアメリカ、スロヴァキアと様々な国の出身者がいた。まず、フランス人が授業中も母国語を使うことが印象に残った。やはりプライドが高いようだ。最初は話してくれなかったので、人種差別か?と感じたが日が経つうちに挨拶も普通にする仲になっていった。もう一つ気になった国がトルコだ、トルコ人はトルコ人かたまっているが、感じも良く、日本語で話しかけられたりもしたが、授業中トルコ語が飛び交うことも珍しくはなかった。また寮のトルコ人は整理が得意ではないようで、食べたものは食べっぱなし、洗濯かごは洗濯物でいっぱいで、トルコ人の男友達がリビングを占領し、他の友達の食料を勝手に食べていた。これはお国柄なのだろうかと考えたが、私がとても仲良くなったトルコの友達は優しく、常識もあり、同国人で固まらなかったので、個人の性格を見つめることも大切だと感じた。

ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカの人たちに囲まれてみて、やはりヨーロッパ人はヨーロッパ人で固まりアジア人はアジア人を求めると感じた。なにか安心感があるのは否めないのだ。現に私が一番最初にクラスで仲良くなった子の出身はタイであった。彼女と仲良くなったきっかけはK-POPの話題であり、アジアという共通点は私達の会話をおおいに盛り上げた。このようにナショナリティの問題は意外と目立ったが、だからといって本当にヨーロッパの人たちと仲良くなれなかったかと聞かれれば、返事はNOだ。ドイツ人、イタリア人とも友達になれた。

公共の乗り物はバスしかない、一日1.50ユーロと格安で、地元の足として欠かせないものである。しかし、このバスがまた厄介であった。バス停に止まってもらうにはバスの運転手に降りますというアピールをすることが必要なのだ。日本では停車駅に着くまで立つなとアナウンスされるが、マルタでは動いているバスの中を移動しながら停車駅近くになると出口で立っていなければならない。またちょうど1.50ユーロがなく、10ユーロ出そうものなら、おつりがないから降りろと乗車拒否される。また乗客がいっぱいだと人を乗せたくないという運転手の思いから停留所を止まらないことがある、目的地まで早く着くという面ではありがたいが運転は荒く、急ブレーキも当たり前。また運転手によっては、友達や彼女、奥さんが乗り合わせ、楽しそうに話している光景もよく見る。アフリカ系の運転手は民族民謡をかけていたり、電話しながら運転する運転手もいたりと日本では考えられないことばかりだ。しかし、そうかと言ってぶっきらぼうなわけではなく、バスチケットを見せてウィンクしてくれたり、チケット購入の受け渡しのときチケットを離してくれないという悪戯をされたり楽しいこともあった。さらに厄介なのが乗客だ、列は作らず、皆我先にとバスに乗り込み、お互いの喧嘩もしょっちゅうだ。喧嘩の内容も足を踏んだ、踏まないと小学生並み。また喧嘩が始まると、走行中にも関わらず運転手が扉をあけ出ていけと怒鳴ることもあった。

スーパーやコンビニ、喫茶店では店員のやる気はほぼない。スーパーの店員はネイルをしていたり、スナックを食べていたり、談笑していたりと、仕事中には見えない。スーパーの店員は皆感じが悪いと思っていたが、通っていたスーパーでは顔も覚えてもらい、挨拶をするまでの仲になった、同様に毎日のように通っていた喫茶店の女性店員も最終的に挨拶程度の会話をするまでになった。だが、一度だけ嫌な思いをしたことは、私がカフェで注文をする際、店内で飲むと言わなかったことで、店員同志が「あの客店内?」「あれだから分かんない」とやりとりしたことだ。これには傷ついた。聞いてくれれば済むのに、私がアジア人なので英語を話せないと決めつけたのだろう。アジア人にはそのようなイメージを持っているのだと感じた。他にもお釣りをだまされるという点があった。有名なジェラート店でも行われる。これに腹のたった私は、毅然とした態度でお金を受けとるようにし、それ以来お釣りをごまかされることはなくなった。アジア人はカモにされやすいのは有名な話だが、私達の態度も重要な点なのではないだろうか。国内ではクレーマー問題が取り上げられるが、海外でこそ、強気で臨むことも必要だと思う。日本のしっかりした接客の方が特殊なのかと感じてしまうぐらい、この国の人の接客は様々だった。

留学へ行くと、日本人同士で固まってしまって、まったく意味がないということがあるようだが、私からすれば本人の意思次第だ。私は外国人とも居たし、日本人とも行動した。確かに日本人で固まると楽であるだが、外国の友達は留学を終えたら会えなくなってしまう。外国人の友達と積極的に交流して、留学の価値を高めるようにするのもしないのも、結局は自分次第だろう。今回の留学で、私はものごとを客観的に見ることができるようになったが、このことも今回の体験の大きな意義であり、留学の成功した点であると思う。

 


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