多摩大・志チャンネル

第1回インタビュー「寺島実郎学長に聞く」

PROFILE:寺島実郎(てらしま・じつろう)

1947年北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程終了後、三井物産入社。米国勤務等を経て、99年より三井物産戦略研究所所長。2009年から会長を務める。また2001年から日本総合研究所理事長、06年から同会長。現在は文科省中教審委員、社団法人日本プロジェクト産業協議会、JAPIC日本創生委員会委員長、アジア太平洋研究所推進協議会議長、総務相ICT政策に関するタスクフォース国際競争力強化検討部会座長を兼任。

現場の力になる人間を育てる

―多摩大学の教育理念である「現代の志塾」にかける思いをお話いただけますか?

多摩大学は平成元年に開設したたいへん若い大学です。当時は半世紀続いていた冷戦が集結し、1989年にベルリンの壁、91年にソ連が崩壊するなどして、世界が大きく変わった時期でもありました。
さらに「グローバル化」や「IT革命」という新しい言葉が次々と生まれ、そんな状況のもとで多摩大学は「新しい事業経営に立ち向かえる若者を育てる」という思いとともに始まったのです。

多摩大の「志塾」は特に「私」でなく「志」と書きますが、これには「社会の現場を支える力になりうる人材を育てる」という意味が込められています。初代学長野田一夫が多摩大学の原型をつくり、私は5代目学長になりますが、時代が一段と流れを早めて変わっていく今、私自身も「現代の志塾」という言葉は大変重要だと感じています。

―多摩大学の特色とはどんなものでしょうか?

早稲田大学をはじめ、さまざまな大学の教壇に立ってきましたが、多摩大学のよさを実感するのは「手づくり感」があるところです。教壇に立つ人間と学生が向き合っているとも言えます。
大学には「研究」と「教育」という二つの側面がありますが、本学が最も大事にしているものは「教育」です。私もよく「人を育てることに重点を置いて教壇に立ってくれ」と教授陣に言っています。お互いに顔を合わせて人を育てていくという土壌がこの大学の特徴なのです。

多摩大学はわずか20年の歴史ではありますが、社会で活躍している卒業生にたびたび出会います。先輩が少ないなか、道なき道を自分で切り開いていった彼らを見ると、大学の「志」はしっかりと受け継がれているのだと感じます。そして一段と「人づくり」に標準を合わせた大学運営をしようと決意を新たにするのです。

face to faceの教育を目指す

―寺島学長も学生との対話を大事にしているそうですね

私が学生と接点を持つ企画は二つあります。一つめは「現代世界解析講座」という年間24回開講されるリレー講座。私の講演のほかにも現代の日本と向き合って戦っている方や、社会的に大きな役割を果たしている方を講師としてお招きしています。この企画はもう3年目に入りました。この講座は学生だけでなく、一般の人も参加できます。いつも大講堂が満席になるほどの盛況ぶりです。

この講座のねらいは、学生に自分が生きている社会について自ら考えるヒントや刺激を与えること、そして地域社会の人にも問題意識を共有してもらうことです。

開講当初は「あまりにもレベルが高すぎる」「難しすぎて学生に敬遠されるのでは」という意見もありましたが、私はそんなことは構わないと言ってつっぱねたんです(笑)

なぜなら私も学生の頃に「岩波講座」で当時のオピニオンリーダーの話を聞き、非常に感銘を受けたからです。もちろんその頃の私には難しくて理解できない部分もありましたが、「時代と正面から向き合っている人はこういうオーラを放っているのか」と知るだけでも違いますし、一つでも心に残る言葉があれば、自分で考え始めるきっかけになります。

1年間の「現代世界解析講座」が終了するときには学生にレポートを提出してもらいます。それを読むと、しっかり自分の頭で「考えて」書いていると感じます。そして彼らが就職戦線にのぞんだり、社会に出て行ったりしたとき、この講座で聞いた言葉やメッセージを思い出すかもしれません。私はそんな瞬間から人は変わっていくと思います。

そして二つめは「インターゼミ」です。私がface to faceで学生と向き合うことで、彼らに刺激を与えようという試みです。多摩大学には「九段サテライト」という施設があり、そこでは大学院や学部の枠を超えて勉強したいという人たちが集まって、時代が抱える問題を解決するための研究(社会工学研究会)を行っています。ここには「寺島文庫」という私の蔵書を移した書庫もあり、学生や研究者に公開しています。

「インターゼミ」では5~6人を1グループにし、それぞれにテーマを与えて文献研究やフィールドワークをさせます。そして全員で力を合わせ、1年間で一つの論文をまとめあげるのです。

例えばテーマの一つに「多摩ニュータウンの研究」があります。多摩ニュータウンの歴史的背景を探ると、戦後の日本という時代にアプローチせざるを得ません。さらに少子高齢化という変化の中でどんな問題が生じているのか、どう解決していくべきなのかと、大変面白いレポートをつくってくれました。

変わったテーマとしては「東鳴子温泉の研究」がありました。「温泉療養とは何か」から始まって、現代における温泉にかなり踏み込んだレポートになっています。学生たちが文献とフィールドワークを駆使してよく研究してくれたので、そのうち宮城県知事に学生からの提案書として届けようと思っています。

このように学生は問題意識を持たせ、全員の力を合わせる場を提供すればたった1年間でも飛躍的に成長します。それに社会に出れば一つのグループに帰属し、先輩たちと一緒に問題を解決する能力が求められるので、学生のうちからそれに応じられる人間形成をしておくべきだというのが私の考え方でもあります。

他の大学も似たような試みをしていますが、多摩大学のようにコンパクトな集団で1年間もの間、一緒に研究を深めさせるところはないでしょう。多摩大学の「インターゼミ」は研究の面だけでなく、人間そのものを鍛えてくれると思います。

寺島学長の学生時代

―寺島学長はどんな学生時代を過ごしたかお話しいただけますか

私は北海道の生まれで、1966年に高校を卒業して大学進学のため東京に来ました。高校時代を振り返ると、ちょっと不思議な雰囲気の生徒だったかもしれません。当時の私は頭でっかちな少年で、先生に難問をぶつけては悦に入っていましたね。しかしある印象的なできごとによって、考え方が変わりました。

私が通っていた学校には、ソ連の捕虜としてシベリアに13年間抑留されていた経験を持つ国語の先生がいたのですが、ある日私に「お前はずいぶん生意気なことを言っているが、まずはこの本を全部読んでからにしろ」と、大量の本を机の上にドカンと置いたんです。

そう言われた私は、それらの本をがむしゃらに読んだのですが、その後先生がしんみり語ったんです。

「俺も戦争に行くまでは自分のことを教養あるひとかどの人物だと思っていたが、人間とは弱いものだ。収容所では食事に出される豆の量が多い少ないで隣の仲間とけんかしたり、ソ連兵に情報を売って自分だけいい思いをしている奴がいるんじゃないかと疑ったりした。人間の心はいとも簡単にぐらつく。たとえ逆さづりされても自分の思想は曲げないという信念は並大抵のものじゃない。ただ本を読んでいる程度ではだめだ」

その話を聞いたとき、先生が経験した苦悩がズシンと迫って、正気に返ったんです。そして自分も本気で勉強しなければいけないと思いました。

そして大学進学のために東京に出てきたのですが、ちょうど全共闘運動のタイミングと重なり、大学3~4年生の頃には校舎が完全に閉鎖されてしまいました。機動隊投入によりようやく授業が再開されたと思ったら、潮がひくように周りの人たちは就職してしまった。かくいう私は、その後大学院へ進学しました。こうして振り返ると、私の高校から大学までのプロセスは、本気で学ぶことの重要性を痛感するためにあったのではと思えてなりません。

私は、人は世の中に出て行く前に自分の「脳力(物事の本質を考え抜く力)」を鍛えておかなくてはならないと思っています。

なぜなら疾風怒濤の世の中で支えとなるものは、自分の強い意志と努力以外にないからです。誰も助けてくれません。上っ面の教養と学歴だけを身につけると、あっという間に「自分とは何か」を見失って、都合のいいサラリーマンで人生を終えてしまいます。だから私は多摩大学だけでなく、すべての学生は「学ぶ」ことに真剣でなくてはならないと思うのです。

―これから多摩大学が目指す方向とはどんなものですか?

多摩大学が本当に力をつけていくには、海外からの留学生を増やして国境を越えた知的体験を学生に提供することだと思います。
すでに近隣アジア諸国を中心に学生が学べる枠を広げていますが、多摩大はよりアジアのダイナミズムを引き寄せる努力をしていきたいと考えています。

また、多摩大をはじめとする東京にある大学は、地方にいる「志」を持った学生を掘り起こしていかなければいけないとも感じています。本学は東京周辺の比較的安定した家庭に育った学生が多いのですが、これからは地方のアクティブな学生や海外からの留学生を招いて、もっと刺激を与えたいと思います。そしてface to faceで学びたいと思う人が、多摩大学に強い関心を持ってくれることを大いに期待しています。(了)